第五回演奏会

ぼくは見た、あのひとが泣くのを.
悲しみもなんという栄誉を受けたものか.

 

2004年6月6日 14:00開演

於 坂井輪地区公民館 音楽室

J. ダウランド (John Dowland, 1563〜1626) 

                   … 作者不詳 (Anon, 16c)

                  … J. ショップ (Johann Schop, 1590〜1664)

  スカボロー・フェア ¶

  『流れよ、わが涙』

  『わが敵、運命よ』 ¶  〜 ファンシー 〜 『カリーノ・カストゥラメ』 ¶

  前奏曲 〜 『眠ったふりをしているきみよ』 〜 『さあもういちど、愛が呼んでいる』

  ミニャルダ 〜 無題 〜 ダウランド氏の真夜中 〜 いつもダウランド、いつも悲しく

  『つれない人、ぼくの心を奪って』 〜 『ぼくの受けた苦しみを』 〜 アロー 〜 『珍品はいかが、ご婦人がた』

  涙のパヴァーヌ  †

  『悲しみよ、とどまれ』

(アンコール)

  グリーンスリーヴス ¶

加藤晶子(ソプラノ)

大作綾(リコーダー)

笠原恒則(チェンバロ)


 第五回は、シェイクスピアと同時代のリュートの達人ダウランドに、当時の街角で歌われていたブロードサイドバラッドを交ぜたプログラムです。
 ダウランドは憂いに満ちた旋律を十八番とし、「涙の(lacrimae)」の二つ名で知られた音楽家です。彼はエリザベス女王付きのリュート奏者になるのが夢でしたが、国教会でなくカトリックの信徒だったためか、とうとう採用されずに大きな挫折を経験します。
 以後も見果てぬ夢を捨てずにヨーロッパ中を彷徨った彼の作品には、常にどこかそうした「負け組」的な心情が伺えます。「勝ち組」の人には真似できないたぐいの、苦みのある複雑な味わいです。

 これらの曲はダウランドのリュートで演奏するのが本来ですが、今回はあえてチェンバロを用いました。フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブックなど、当時のチェンバロ曲集にはこうした作品の編曲が多数みられますが、それらを研究してリュートソングをチェンバロにアレンジしたのです。
 また、この回の準備をしていて、一番驚いたというか感動したのは、リュートとチェンバロの近親関係でした。例えば、ダウランドの自由なプレリュードやファンシーを弾くのには、ルイ・クープランやフローベルガーを弾く感覚と通ずるところがあります。
 もちろん、手で直接はじくリュートと、鍵盤を介してはじくチェンバロとの違いは確実にあって、そのまま代わりができるわけではありませんが、「チェンバロは長らくリュートの音を自らのパラダイムとしてきた」という渡辺順生氏の言葉が、実感として腑に落ちました。

 この日は運悪く、隣の部屋でガールスカウトの大会がありました。下の録音の中で、にぎやかな声が入っているのはそのためです。また、道路に面しているため、初夏の暑さにあって窓を開けられずに蒸し風呂状態にもなってしまい、お越しくださったお客様にはなんとも申し訳ないことをしました。そのため、楽器の搬入経路の制約なども考え合わせて、定期演奏会の場所を、次回から音楽文化会館に移すことにしました。公民館の職員の方々は本当に良くしてくださったのですが…。


Play back...

J. ダウランド : 『ぼくの受けた苦しみを』

J. ダウランド : ミニャルダ 〜 無題

J. ショップ : 涙のパヴァーヌ

再生方法などはこちら